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男もすなる日記といふものを、harumakiもしてみむとてするなり。

『夢のキャンバス』

『夢のキャンバス』

■一.塗りつぶす

 眠れない。今日は何を成し得たか、休日である明日は何をするのか、何時間寝られるか、何時に起きるか、好きな人と嫌いな人、未来の展望と過去の痴態、目は瞑るけれどそういう色々を思い出して、脳が冴えて眠ることなど到底できない。

 こういう時は決まって、キャンバスを思い浮かべる。古びたイーゼルに掛けられたキャンバスの中では、様々な色が混ざり合い蠢いている。そのキャンバスを、白い絵の具をたっぷりと浸した刷毛で、余すところなく綺麗に塗りつぶす。

 塗りつぶして、塗りつぶして、そうしている間に眠くなる。眠っていると、絵の具がぽつぽつと、キャンバスの上に滴り落ちる。

 

■二.青

 学校にいる。一番下の階の廊下を端の方まで歩いて、突き当りを右へ曲がると、誰も使っていない教室がある。扉を横へずらして中へ入ってみると、大きな黒板が2つ並ぶほどの広さで、奥へ入ると暖かな埃の匂いがした。この部屋は学園祭期間になると倉庫になる。よって今は他クラスの机や椅子、高そうなソファ、演劇で使う大道具、教科書やノート、飲みかけのペットボトルなどが無造作に置いてあった。

 ページをめくる音が聞こえる。「おう。」と一人掛けのソファの方から声をかけられたので、「おう。」と返す。以降彼と話すことは無かった。彼は本を読んでいた。それを見ていると私もなんとなく本が読みたくなって、制服の胸ポケットに押し込んでいた文庫本を取り出した。ブックカバーの付いたその本は何の本か分からないし、内容もそれらしいことが書いてあるような気はするが、ところどころ誤字や乱丁があったりしてすぐに飽きてしまった。

 窓からは青空と中庭の植え込みが見える。窓は閉まっているが、風に揺れて擦れ合う若葉の音が響き、その更に奥からは皆の出す喧騒が聞こえてくる。ここはコンクリートジャングルのど真ん中だというのに、それぞれの音が混ざり合い、さながら潮騒のように聞こえ、目を閉じると自然と眠気が来て視界の端が白くなっていった。音が遠くなっていく。

 まどろんでいると、入り口の方から二人程入ってきた。男子学生で、同じ制服を着ている。彼らは知り合いだったが、名前は思い出せない。

 私は同じように「おう。」と声をかける。

 「おう、ここで練習してもいい?」

 「何の練習?」

 「これからステージなんだよね。最後だからさ」

 そういえば我々はもう三年生だった。最後の学園祭だというのにこんなところで油を売っていてよいものか、とも考えたが、思えばこうすることが自分のいつも通りだったような気がして、考えるのを止めた。

 彼らは私と違って、旅立ちの思い出として何かを残したかったらしい。彼らは我関せずとして二人で歌い始めた。アカペラである。本番でもアカペラなのか、あるいはBGMがあるのか知らないが、あまり上手ではなかった。これなら私の方が上手い。そう思ったが私は何もしない。

 邪魔しては悪いと思ったし、どうでもよかったので眠ることにした。男の嬌声というのは甚だ気持ちの悪いものであるが、まどろみの中では子守唄に聞こえなくもない。そうして眠った。

 それから程なくして、クラスメイトが私のことを呼びに来た。相変わらず、顔と名前は分からなかった。

■三.灰

 自分の元いた教室に入ると、そこにはクラスメイトと担任の先生、昔誰かの葬式か結婚式かで見た人、前のアルバイト先にいた人、会社の同僚や上司なんかもいた。どうやらここは宴会の会場ホールのようである。こうなるといよいよ面倒になって、脱け出したくなったが、少しだけ挨拶でもしないと後で怒られそうな気がしたので、仕方がなく、嫌々、本当に心底面倒だと思いながら、それでもその灰色の感情が表に出ないよう、ニコニコと能面のように表情を張り付け、躍り出ることにした。

 「お疲れ様です。」

 「お、明石川くん、お疲れ様。飲んでいるかい。飲みたまえよ。」

 明石川(あかしがわ)というのは私の苗字である。そして私はお酒が苦手だ。臭いもダメだ。しかし、断るわけにもいかないので、あわててテーブルにあった誰のものか分からないグラスを手に取り、適当に上司と乾杯した。

 鼻で呼吸をしないように意識し、グラスに口を付け、少しだけ含む。すると、ほのかに甘く、嫌な臭いもしなかった。臭いというのは鼻から入ってこないようにしても、口に含んでしまえば否が応でも感じてしまうものである。今回もその不快感と吐き気を覚悟していた。しかし、今回は特に嫌な心持ちにはならなかった。よく分からなかったし、存外何ともなかったため拍子抜けである。天井から煌々と降り注ぐ白光に照らされて、手に持ったグラスの酒が妙に光っているように見えた。

 上司は得意気になって、こう聞いてきた。

 「最近どうだね。もう年末だけどウチには慣れたかい。」

 「ええ。はい、大分慣れました!」

 どうして上司や先輩というのは事あるごとに「慣れたかい」と聞いてくるのだろう。なんでも "慣れ" で解決すると思ったら大間違いだ。

 会社でも、この宴会でもそんな人ばかりでうんざりだ。そう思うと、こんなところにいるのはやっぱり時間の無駄な気がして、適当に切り上げることにした。

 「すみません。少し気持ち悪いので外の風に当たってきます。」

 「全くしょうがないなお前はいつもいつも。そんなんだからお前は」

 「はい、すみません。」

 逃げるようにホールを出た。階段を下りて、重たいガラスの扉を押し開けると、そこには灰色の空が広がっていて、分厚い雲からは雪がしんしんと、極めて静かに降っている。遠くからは汽笛の音が聞こえる。街灯に照らされる雪の結晶が手の平にほろと落ち、汽笛の音が鳴り止むのと共に、その結晶は融けてなくなってしまった。冷たさを感じることは無かった。

 

■四.黒

 鐘が鳴る。時計を見ると、既に危ない時刻だった。何が危ないのかは分からない。でもどうにかして行かないと、逃げないといけない。そういえばさっき汽笛が聞こえた。駅へ急ごう。急がないと何か良くないことが起きる気がしてならない。良くないことが何なのかは分からなかった。

 門の方へ向かってひたすら走る。黒鉄のフェンスを飛び越え、建物を離れる。後ろからは得体の知れない、液体とも個体とも言えない、形容しがたい黒の塊が、全てを覆い被せるように迫ってくる。追いつかれると怖くて良くないことが起きる気がして、私はその暗闇から逃げるように走った。しかし身体は重く、足は雪にとられてあまり速く走れない。水は滴ってこないけれど、汗をかいているのも分かる。吸い込む風は異様に冷たく、白い吐息は霧散してあっという間に消えていく。

 信号は点いていないから無視してもいいだろう。車もいない。他に人の気配も無い。階段を駆け下り、地下道に入って真っ直ぐひたすら走る。靴の中は水が入ってぐしょぐしょになっているし、やはり雪に足を取られてスピードが出ない。だが、駅はもうすぐのはずだ。本当は駅がどこにあるか知らないけれど、そこに駅がある気がして、そして角を曲がると本当に駅の建物があった。

 動いていないエスカレーターを駆け上がる。120段はあるであろう段を、2段か3段飛ばしで上る。足がもつれそうになるが、不思議と踏み外すことはない。たぶん踏み外してしまうと追いつかれてしまうから、踏み外さなかったのだ。

 一番上まで行くと、プラットフォームには既に列車が来ていた。後ろの方の車両に飛び乗り、座ってから程なくして発車した。もう大丈夫だ、そう思って一息つくと、そろそろ起きなければならない気がして、目を開けた。

 

■五.朝

 カーテンの隙間からは眩い光が差し込んでいる。身体は汗ばみ、心臓の鼓動は早い。どういう夢を見ていたかはあまり思い出せない。

 夢というのは現実ではない。そして大体、何もしないで逃げている。皆等しく、こういうものなんじゃないかと、切に願う。

 

(終)

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2作目です。駆け抜けるように3日くらいで書きました。

最近生活リズムが狂っていて夜に眠れない日が続き、そうしている時に思いつきました。何も考えずに書いたのでぐちゃぐちゃです。

でも夢とはそういうものです。