『第1回 集英社WEB小説大賞』における燃え尽き症候群について
◆『第1回 集英社WEB小説大賞』における燃え尽き症候群について
燃え尽き症候群(もえつきしょうこうぐん)、バーンアウト(英: Burnout)とは、
一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した結果が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満[2]。あるいは、努力の結果、目標を達成したあとに生じる虚脱感を指す場合にも用いられる(後述)。慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう[要出典]症状。一種の心因性(反応性)うつ病とも説明される。
(Wikipediaより)
■書きました。「執筆した」などという尊大な表現には値しません
表題のとおり、4月始めから6月いっぱいまで、3か月間ライトノベルを書いてました。
私の考えていた予定がその通りに進んでいたならば、本当は2020年4月から、ひょろっとあてのない旅に出る予定でした。無論、生憎のコロナにより頓挫です。
木の虚のようにポッカリと空いた時間。ここで何をしようかと考え、
行きついた先は「何らかの作品における、賞への応募」でした。
何故ライトノベルなのか、という疑問についてですが、
はっきり言いますと、
「お手軽、安易、低レベル」
というように考えたのが理由になります。
(これは後に、間違いだと気付くことになりました。)
日がな創作のネタを考えたり、気が向いた折には、キーボードという名の筆を取ったりもしていたので、自分の持っている経験や才能を鑑みても、この選択は妥当なところだったと思います。
私の出来得る「創作」の範囲は、小説・ライトノベルでした。他は大して出来ません。
募集先を検索した際、
『第1回 集英社WEB小説大賞』が目に付きました。
第1回ということもあり、全くの未経験である私にも、少しくらい巡り合わせがあるのではないかと思ったのです。
応募要項を確認すると、字数:80000字以上 とのこと。これに関しては大して脅威ではありませんでした。
というよりは、「脅威を感じ取れなかった」と言った方がいいかもしれません。
80000という途方もない数字は、書く前の私にとっては未知の数字でした。
そんなに長い文章は書いたことがありません。
ワードの画面の左下を見ても、見たことあるのは大体4桁、以前ブログに上げた短編のお話でも、精々10000字程度です。大学の卒業論文ではアプリ開発を行いましたが、下手をすればソースコード込みでも8万字に届いていないかも。
先に言うと、要綱の条件は無事満たすことができ、私の書いた "それ" は現在も選考の最中にあると思います。(足切りなどは存じておりません)
応募した理由の話に戻らせていただきます。
昨今の「なろう系」というカテゴリは、世論的に「嘲笑の対象」です。
「へぇ、『なろう』のアニメか。視聴してみたけど、作画だけ良くて内容は面白おかしく叩けそうだから見てやるか(笑)」のような誹謗目的の意見も稀に見ます。
念のため注釈を入れますと、「小説家になろう」に投稿される作品全てがそうであると言いたいわけではありません。『リゼロ』なんか面白いです。
・・・ここで書く「なろう系」というのは、"ご都合主義のテンプレ展開"という意味です。
さて、こんな陳腐で道理の通らない作品ばかりな "なろう系"。
「これなら俺にも書けて、なんならワンチャン賞も取れるんじゃないの」。
競合相手、ライバル、同業他社は弱いに限ります。
そう考えて、書くのを始めました。
■原稿用紙を「埋める」
なんとか80000字を埋めました。
内容についてここではお話しませんが、根幹のアイディアはとても面白いと自負しているし、ストーリーの端から端を見ても破綻は無いと思っています。
「アイディア力」については、これまでの活動で相応に身についていたのだと実感しました。
足りないのは 文章力 及び 語彙力 でした。
「埋める」と書いてある時点で、お察しの事と存じます。
例えば、
・奴は僕を切ったが、僕は生きていた。
と書けば、まるで英語の直訳のような味の無い文章ですが、
・奴は僕の不意を突いて切りかかってきたが、妖しく光るナイフは僕の頬の表皮をかすったのみで、間一髪致命傷にはならなかった。
ベチャベチャと肉付けして書けば、上の文よりかは、なんとなく起伏に富んでて面白いはず。
「読み取らせやすく且つ面白くシチュエーションを書ける」=「文章力がある」
ということだと私は考えています。(これのみという話ではありません)
一行書くだけならハッキリ言って容易です。
私自身、つらつらと一年以上書いてきた当ブログで、多少なり力が身に着いたことを実感しました。
しかし、これが80000光年続くとなれば、事態は深刻なものに変わります。
お察しのとおり、語彙や文章のパターンというのは書いている内にみるみる減っていきます。この記事で「お察し」という単語が出るのは2回目です。
こんな感じで、文章を書くときに、あるいは書いた文章を読み返した時に、
「中身が、似たような慣用句や表現ばかり」という状況が起こります。起こりました。
此度の投稿における私の実例を挙げますと、
・「さて、」という書き出しで始まる文が多い
・周囲の状況を説明するときに、「轟音」や「鳴り響く」という単語がよく出てくる
エトセトラ。私自身気付いていない癖もたくさんあることでしょう。
先ほど「力が身に着いた!」と宣いましたが、お察しです。
小説の執筆は、マラソンと同じだなと思いました。
文章力はテクニック、アイディア力はポテンシャルといったところで、
そして「語彙力」は「体力」です。
始めの内は、まだ使っていない表現をふんだんに、想いのままに書けるが、ゴールが近づくに連れ、語彙のストックが無くなって似たような表現ばかりになり、書くのが苦しくなっていく。
マラソンで金メダルを取るためには、テクニックやポテンシャルも極めて重要ですが、完走する体力が無ければ話になりません。
今回の私を省みると、ゴールに辿り着くことはできたものの、息も絶え絶えで、途中から歩いてしまったような、そんな状況と同じだったように思います。
リアルはそう甘くはありません。
■今後
決めてません。
歯牙にも箸にも棒にも琴線にも、何一つ起こり得ないということであればすっぱり諦められるのですが、如何せん結果発表は9月上旬とのことで、どうしたらいいか迷っています。
あまり期待してません。
引き寄せの法則的には神やら仏やらにでも祈った方が良いのかなと思いますが、こう現実から目を背け続けるのは、げに恐ろしく愚かなことです。
選択を迷うのは、目を背けていることと同じかもしれませんが。
「挑戦して挫折した」というエピソードを得て、大人しく就職活動に勤しむか、
あるいは
曲がりなりにも80000字を書き上げた経験と、これまでの成長と今後の伸びしろに賭け、もう少しだけそういう活動を続けてみるか。
"現代のラノベ作家のほとんどは兼業作家" というお話をどこかで耳にしましたが、前の会社を2年足らずで辞めた雑魚が、「兼業」という超人的活動を営めるとは到底思えません。
(立場や状況が人を成長させるかもしれませんが、自信はありません)
のうのうと欠伸をしている私ですが、残り数ヶ月で20代前半が終わる今日この頃、心の裏では焦燥感に苛まれながら日々を生きています。
燃え尽きたお話でした。
10日ほど経ってようやくまた火種が湧いてきたので、こうして事のあらましを書いた次第です。
さようなら。
━━━(参考)━━━━━━━━━━━━━━━━
①
②