捨てられない悩み
■『捨てられない』
本日のタイトルを皆さんはどう読んだでしょうか。
ぼくが書きたかったのは「ある "悩み" を捨てられない」ということではなく、
「"捨てられない" という悩み」があるということです。
見ていただいた方が早いでしょう。こちらをご覧ください。
三色ボールペンと、使い切った緑ペンの芯です。
ぼくと同級生だった方ならもしかしたら覚えているかもしれませんが、この三色ボールペンは、ぼくが中学生の時から使っている物です。
このペンはなんとシャープペンシル機能も搭載しています。
しかし、ノックする部分のプラスチックが取れてしまっていますし、頭の消しゴムとフタも失くしちゃいました。傷も付き放題のボロボロボールペンです。
ことこの緑色に関してはずっと芯を変えずに10年使いました。
赤色の芯はすぐ使い切ってしまったのですが、友達がいらないといったボールペンと芯を取り替えてまた使えるようにしたりなど、手間暇かけて延命治療を施したこともあるとても年期の入ったアンティーク三色ボールペンです。
大切にした物には八百万の神が宿ると言いますが、頭を失くしたのに血色の芯を差して死の淵から蘇らせるなどしたこのデュラハンボールペンには、一体どんな神が宿っているのでしょう。
ぼくの貧乏性には七福神も呆れていることと存じます。
■貧乏性
捨てられない悩みとは、「ぼくの貧乏性が過ぎる」ということです。
ぼくは掃除こそ面倒くさがるものの、片付けが出来ないわけではないと自負しています。
「物は壊れるまで、あるいは使い切るまで」。
そんな節約心をモットーに生きてきたのですが、最近これに疑問を抱いています。
「さすがに捨てなさすぎでは?」
上に貼った三色ボールペンなんかまさにそれです。誰が好きこのんで使いやすさゼロのこのボールペンを使うんだ? もう捨てろよ。
でも捨てられません。理由はひとえに「愛着」です。
このペンとはかれこれ10年以上の付き合い。もう友達みたいなものです。
プラスチックの取れたシャーペン部分も、幾度となく爪でガシガシ押してきました。そうやって手を取り合ってきた関係です。
目をつむれば、彼との思い出がつい昨日のことのように目の前に・・・
分解しては戻し、分解しては戻し・・・
勉強の時は赤芯青芯緑芯、赤芯青芯緑芯・・・
ペン回しグルグルグルグル・・・・
シャー芯をカチカチ出してから折れないようにスーーーーっと戻す・・・
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授業を聞けバカ。
■思い出の靴下
そんな貧乏性バカなぼくですが、ついさっき思い出の品を捨てました。
それは靴下です。どんな靴下かと言いますと、高校の時に買った黒のソックスです。
高校3年生の秋頃、回転寿司のアルバイトを始めることになったぼく。制服に黒のソックスを指定されていたので、近くのスポーツショップへ行きました。その時に買った4足セットの安物です。
そのアルバイトは馴染めずにすぐ辞めてしまったのでクソも良い思い出は無いのですが、その後彼とは長い付き合いになりました。
大学2年生になってから、また別のアルバイトを始めました。それは冬場外に出て作業をするタイプの仕事でした。寒い日は重ね着をし、それは靴下も同じでした。
黒のソックスの上に、更に同じソックスを履く。そうすると二回目に履いた外側のソックスは、それはもうみっともないダルダルのヨレヨレになってしまいます。
今回捨てたのは、その外側に履くヨレヨレのソックスです。
北海道から出ていく時も荷物にそのソックスを詰め、社会人になってから仕事に行くのにも使っておりましたが、いい加減ヨレが煩わしくなってきたので捨てました。
でもこの靴下を見るたびに学生時代を思い出して、
「あの時のバイト、大変だったけど楽しかったな」
「怒られたこともあったな」
「上司だったEさんやKさんはまだ働いてるかな」
その郷愁がゴミ箱へ行く足を止め、なかなか捨てられませんでした。
他人が見ればただの靴下ですが、
青春の汚くも綺麗な汗が染み込んだ、ぼくの思い出。
さよなら、ぼくの靴下。
■呪い
「悩み」と書きましたが、きっとこれは呪いです。
性格というのは簡単に変わるものではありません。きっとこれからもぼくは物を捨てるのに苦労するでしょう。件のボールペンについても、壊れるか失くすまでは本当に一生持ち続けるんじゃないかと思ってます。
半分壊れたボールペンにヨレヨレの靴下でさえこのザマなのですから、もっと大きなものを捨てることになる時が恐くて仕方ありません。
でも、物はいつか壊れます。昔好きだったガラクタをいつまでも持っているわけにはいきません。捨てる時は必ず来る。
この『捨てられない呪い』と上手く付き合いながら生きていけるようにがんばります。