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男もすなる日記といふものを、harumakiもしてみむとてするなり。

あたしンちから学ぶこと

harumakiです。

 

今日もブログという名の"日記"を書こうと思います。

 

・・・日記。

 

 

日記と言われれば思い出すものは人それぞれでしょう。

最初の2,3ページだけ書いて部屋の隅でホコリをかぶった日記、夏休みの宿題の1行日記、夢で見た出来事をかく夢日記など色々あると思います。

 

ぼくが思い出すのは「あたしンち」です。

 

 

 

あたしンちから学ぶこと

あたしンち」という漫画。読売新聞にも掲載されていた、漫画家けらえいこさんの作品です。タイトルでいうところの"あたし"は登場キャラクター"立花みかん"のことです。

 

 

ぼくが思い出すのは、みかんが日記を書くエピソードです。

ある日みかんが部屋の掃除をしていると、挫折して中途半端に書いた日記を見つけます。

 

 

 

 

エピソード内では、みかんが日記を挫折する予感として、

 

◆日記を年末から中途半端に始めてしまい、年明け前の部分を切り取って一から始めようとしたがモチベーションが無くなった

◆扉絵にうっかり恥ずかしいことを書いてしまった

◆表紙にタイトルを書いたら微妙に体裁が崩れた

 

といったシーンが描写されています。

 

 

 

 

このエピソードを読んだぼくは思いました。

 

 

 

 

 

 

 

「俺じゃん・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

(※扉絵に恥ずかしいポエムを書いたことはありません)

 

 

 

気付きました。思い返せばみかんと同じようなことをやった覚えがある。ありすぎます。

 

ぼくが挫折したり中途半端になったりする理由、堂々の第1位はこれです。

新しいノートの序盤はものすごく綺麗に書き、次第に板書が追いつかなくなって本末転倒・・なんてことをノートを替えるたびに行っていたような気がします。

「キレイにキレイに」を意識しすぎて肝心の内容はすっからかんです。

 

 

ぼくは あたしンち から「力の入れ所」を学びました。こだわるのは書式や体裁じゃなく、大事な単語や事柄なのです。

 

先生も先生です。学校のセンセーは「ノートは他人が読めるくらい綺麗に書きましょう!」なんて言いやがる。誰が見るのそのノート。おろかなぼくは十数年このことに騙されてました。

 

ノートなんてものは自分が読めればいいのです。

 

 

 

 

 

 

ブログを書く時だけ弘法大使になるぼくの日記でした。